2019年05月09日
令和元年4月20日 歴史探訪:琵琶湖水運の港町・東海道の宿場町大津をめぐる
◇行 程(約7Km) 参加者62名 会員ガイド 6名
4月205日定刻通り集合し、3班に分かれてスタートした。
JR大津駅でコース並びに概略説明
写真手前は車石
・牛が重荷を引いていくのを助けるため花崗岩を大津から京都三条までの約3里(12Km)に、文化元年(1804)から翌年にかけて江戸幕府の主導で車石敷設工事が実施された。

大津事件の碑→ 札の辻→ 大津宿本陣跡 → 旧東海道逢坂山トンネル跡
明治13年(1880)大津、京都間の鉄道開通に合わせ、イギリス人の指導のもと初めて日本人技師のみの手によって完成した全長664mのトンネルで、大正10年まで使用された。大正10年(1921年)新逢坂山トンネルが建設され現在の路線に切り替えられて廃線となった。

関蝉丸神社下社→長安寺牛塔 → 小野小町供養塔→犬塚の欅
1465(寛正6)年京都東山本願寺を延暦寺に破却された蓮如は近江に逃れ、転々と逃げ回り大津に逃れ近松別院を建立する。その時に命を狙われ食膳に毒を盛られたが愛犬が食べ身代わりとなり死んだ。蓮如はこの犬を手厚く葬りこの地に欅が植えられたと伝えられている。

→本長寺→大津城跡(昼食)→彦田稲荷神社 → 大津城の石垣 → 大津御用米会所跡 → 小舟入の常夜燈→琵琶湖岸の石垣 → 石場の常夜燈
幕末の弘化2年(1845年)に建てられたもので、石場と対岸の草津矢橋間の渡し舟の目印とされた。高さ8,4mの大型の常夜燈の基壇には大津・京・大坂などの舟仲間の名が刻まれている。昭和43年琵琶湖文化館前に移され平成17年現地に再度移された。

→石場港跡→義仲寺→JR膳所駅(解散)
4月205日定刻通り集合し、3班に分かれてスタートした。
JR大津駅でコース並びに概略説明
写真手前は車石
・牛が重荷を引いていくのを助けるため花崗岩を大津から京都三条までの約3里(12Km)に、文化元年(1804)から翌年にかけて江戸幕府の主導で車石敷設工事が実施された。
大津事件の碑→ 札の辻→ 大津宿本陣跡 → 旧東海道逢坂山トンネル跡
明治13年(1880)大津、京都間の鉄道開通に合わせ、イギリス人の指導のもと初めて日本人技師のみの手によって完成した全長664mのトンネルで、大正10年まで使用された。大正10年(1921年)新逢坂山トンネルが建設され現在の路線に切り替えられて廃線となった。
関蝉丸神社下社→長安寺牛塔 → 小野小町供養塔→犬塚の欅
1465(寛正6)年京都東山本願寺を延暦寺に破却された蓮如は近江に逃れ、転々と逃げ回り大津に逃れ近松別院を建立する。その時に命を狙われ食膳に毒を盛られたが愛犬が食べ身代わりとなり死んだ。蓮如はこの犬を手厚く葬りこの地に欅が植えられたと伝えられている。
→本長寺→大津城跡(昼食)→彦田稲荷神社 → 大津城の石垣 → 大津御用米会所跡 → 小舟入の常夜燈→琵琶湖岸の石垣 → 石場の常夜燈
幕末の弘化2年(1845年)に建てられたもので、石場と対岸の草津矢橋間の渡し舟の目印とされた。高さ8,4mの大型の常夜燈の基壇には大津・京・大坂などの舟仲間の名が刻まれている。昭和43年琵琶湖文化館前に移され平成17年現地に再度移された。
→石場港跡→義仲寺→JR膳所駅(解散)
令和5年12月2日 「古都大津・歴史 散 策 港町・宿場町大津と大津城跡を巡る」ガイド報告
古都大津・歴史 散 策 港町・宿場町大津と大津城跡を巡る参加者募集
令和5年11月4日 歴史街道ウォーク・天智天皇ゆかりの「近江大津宮跡」を訪ね「渡来人の郷」をゆく
令和5年5月27日 歴史街道ウォーク・まぼろしの保良宮と近江国分寺跡を訪ねる
令和4年11月12日街道ウォーク・琵琶湖疏水その3報告
令和4年11月12日(土) 琵琶湖疎水シリーズ その3参加者募集
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Posted by シニアサロン大津~おやじのたまり場~ at 19:05│Comments(0)
│旧・ポランティアガイド