
2017年12月26日
12月ウォーキングの報告
12月20日(水)JR大津駅前に23名(遊々クラブ4名)が集合しました。当日は快晴、前日までの寒さは和らぎ絶好のウォーキング日和となりました。
今回のウォーキングは会員の恒岡さんから、明治時代に大津に鉄道がやって来た頃の写真を見せながらのガイド付きのウォーキングとなりました。
現在の国道1号線の車の行き交っているところにかつてSLが走っていた写真を見せられ、遥か遠い時代のロマンを感じさせてくれました。
各所で説明を受けながら、日頃よく行き来しているこんな身近な場所に、自分たちの知らなかった歴史があったのだということを痛感させられました。
午後からは、室町時代、一命を投げうって親鸞上人のご真影を守った「堅田源兵衛」殉教の寺「等正寺」を拝観、ご住職からお寺の説明を聞き、「堅田源兵衛の首」とご対面。
写真撮影が許されたので、多くの人が「源兵衛の首」をカメラに収めていました。等正寺拝観後本福寺まで歩き解散をしました。
当日歩いたコース
JR大津駅(集合)⇒東海道線路跡⇒音羽台ねじれまんぽ⇒旧東海道線の橋台⇒旧逢坂山トンネル東口⇒安養寺⇒旧上関寺駅⇒京阪電車の跨線橋⇒関蝉丸神社下社⇒犬塚の欅⇒長等公園(昼食)⇒等正寺(源兵衛の首)⇒本福寺(解散)
注堅田源兵衛の首はここ「等正寺」の他、堅田の「光徳寺」、三井寺町の「両願寺」にもあるとされています。何故同じ人間の首が三つもあるかは不明です。









今回のウォーキングは会員の恒岡さんから、明治時代に大津に鉄道がやって来た頃の写真を見せながらのガイド付きのウォーキングとなりました。
現在の国道1号線の車の行き交っているところにかつてSLが走っていた写真を見せられ、遥か遠い時代のロマンを感じさせてくれました。
各所で説明を受けながら、日頃よく行き来しているこんな身近な場所に、自分たちの知らなかった歴史があったのだということを痛感させられました。
午後からは、室町時代、一命を投げうって親鸞上人のご真影を守った「堅田源兵衛」殉教の寺「等正寺」を拝観、ご住職からお寺の説明を聞き、「堅田源兵衛の首」とご対面。
写真撮影が許されたので、多くの人が「源兵衛の首」をカメラに収めていました。等正寺拝観後本福寺まで歩き解散をしました。
当日歩いたコース
JR大津駅(集合)⇒東海道線路跡⇒音羽台ねじれまんぽ⇒旧東海道線の橋台⇒旧逢坂山トンネル東口⇒安養寺⇒旧上関寺駅⇒京阪電車の跨線橋⇒関蝉丸神社下社⇒犬塚の欅⇒長等公園(昼食)⇒等正寺(源兵衛の首)⇒本福寺(解散)
注堅田源兵衛の首はここ「等正寺」の他、堅田の「光徳寺」、三井寺町の「両願寺」にもあるとされています。何故同じ人間の首が三つもあるかは不明です。









2017年12月09日
古都大津歴史街道探訪報告
古都大津歴史街道探訪
今年度最後の「天智天皇ゆかりの近江大津宮跡を訪ね、渡来人の郷を巡る」は11月26日JR大津京駅に集合、好天に恵まれ41名の参加者とともに午前10時に出発する。最初に近江大津宮跡で、内裏南門、回廊、塀、正殿跡を見学しながら、1350年前に天智天皇が飛鳥から遷都した宮を偲ぶ。
続いて皇子山古墳に登り、墳丘の東側に葺石をふき湖を意識した築造になっている古墳から、琵琶湖の眺望を楽しみ近江神宮に向かい昼食にする。
午後は近江神宮の境内を巡り漏刻をはじめ3種類の古代の時計と、天智天皇の「むべなるかな」で有名な拝殿の脇に植えられているむべの木を見学する。
南滋賀町廃寺跡に向かい、この地を支配していた豪族の氏寺と考えられる塔、小金堂、金堂、講堂、僧坊を配した伽藍配置を確認する。次に百穴古墳群で渡来人のお墓で、遺体を納めた「玄室」と外を結ぶ通路「羨道」に分かれているいくつかの横穴式古墳を見学する。
平安時代から多くの人々が利用していた山中越えの道に入り、人々の道中の安全を祈ったとされる,高さ3、5m幅2,7mの花崗岩に彫りだされた志賀の大仏で小休止にする。そして山道を進み現在でもきれいに残されている礎石の並ぶ崇福寺跡で当時の寺院を想像する。特に昭和の初めに塔跡から発掘された舎利容器(国宝)と荘厳具の写真を見て参加者の皆さんは感動された。
最後に、熊ケ谷古墳群にある直径約20mの横穴式古墳に入る体験をして高砂町古墳公園で解散する。

今年度最後の「天智天皇ゆかりの近江大津宮跡を訪ね、渡来人の郷を巡る」は11月26日JR大津京駅に集合、好天に恵まれ41名の参加者とともに午前10時に出発する。最初に近江大津宮跡で、内裏南門、回廊、塀、正殿跡を見学しながら、1350年前に天智天皇が飛鳥から遷都した宮を偲ぶ。
続いて皇子山古墳に登り、墳丘の東側に葺石をふき湖を意識した築造になっている古墳から、琵琶湖の眺望を楽しみ近江神宮に向かい昼食にする。
午後は近江神宮の境内を巡り漏刻をはじめ3種類の古代の時計と、天智天皇の「むべなるかな」で有名な拝殿の脇に植えられているむべの木を見学する。
南滋賀町廃寺跡に向かい、この地を支配していた豪族の氏寺と考えられる塔、小金堂、金堂、講堂、僧坊を配した伽藍配置を確認する。次に百穴古墳群で渡来人のお墓で、遺体を納めた「玄室」と外を結ぶ通路「羨道」に分かれているいくつかの横穴式古墳を見学する。
平安時代から多くの人々が利用していた山中越えの道に入り、人々の道中の安全を祈ったとされる,高さ3、5m幅2,7mの花崗岩に彫りだされた志賀の大仏で小休止にする。そして山道を進み現在でもきれいに残されている礎石の並ぶ崇福寺跡で当時の寺院を想像する。特に昭和の初めに塔跡から発掘された舎利容器(国宝)と荘厳具の写真を見て参加者の皆さんは感動された。
最後に、熊ケ谷古墳群にある直径約20mの横穴式古墳に入る体験をして高砂町古墳公園で解散する。
