2018年04月28日
歴史街道探訪:「小関越えの道」と「琵琶湖疏水」を巡る
新緑の葉を揺らしながら通り抜ける風が気持ち良い浜大津に、歴史街道探訪の参加者が100名近く集合しました。

10時過ぎ、3班に分かれて出発。コースは
京阪浜大津駅→疏水取水口→疏水揚水機場→大津閘門・制水門→第1トンネル洞門→小関峠 →第一竪坑→第1トンネル西口洞門→緊急遮断ゲート→四宮舟溜り→諸羽疏水公園(昼食)→ 安祥寺川と第1・第2疏水の交差 → 安祥寺舟溜り→ 第2トンネル洞門 → 第11号橋 → 第3トンネル東口洞門→(日ノ岡)→第1・第2疏水合流点(蹴上)→御所水道ポンプ室→ インクライン→田邊朔朗立像→(疏水分線)→南禅寺水路閣(解散)
琵琶湖疏水船の復活が話題になっているが、大津閘門の見える北国橋北詰めに乗下船場の案内を見かける。
大津閘門、第一トンネル、トンネル出入り口に掛る扁額などの説明を聞きながら、小関峠道に入る。
峠を越えて、右、西大津バイパス 左、疏水の案内を見て狭い下り道を一気に降りると、左に第一竪坑が現れる。第1トンネル(長等山のトンネル)は,当時我が国最長のもので多くの人達がその成功を疑いましたが,山の両側から掘っていくほかに,山の上から垂直に穴を掘りそこから山の両側に向けて工事を進めていく竪坑(シャフト)方式を我が国で初めて採用し,工事の促進を図ったそうです。

やがて、西大津バイパスの高架の下を通り、藤尾磨崖仏で有名な「寂光寺」過ぎて、四宮小金塚団地の南麓に入ると、JR琵琶湖線、湖西線と共に右側に疏水第一トンネルの出口も姿を表し、山科疏水と言われる場所に出ます。

諸羽疏水公園の昼食時、びわ湖疏水船が蹴上へ向かって通り過ぎました。



10時過ぎ、3班に分かれて出発。コースは
京阪浜大津駅→疏水取水口→疏水揚水機場→大津閘門・制水門→第1トンネル洞門→小関峠 →第一竪坑→第1トンネル西口洞門→緊急遮断ゲート→四宮舟溜り→諸羽疏水公園(昼食)→ 安祥寺川と第1・第2疏水の交差 → 安祥寺舟溜り→ 第2トンネル洞門 → 第11号橋 → 第3トンネル東口洞門→(日ノ岡)→第1・第2疏水合流点(蹴上)→御所水道ポンプ室→ インクライン→田邊朔朗立像→(疏水分線)→南禅寺水路閣(解散)

琵琶湖疏水船の復活が話題になっているが、大津閘門の見える北国橋北詰めに乗下船場の案内を見かける。


峠を越えて、右、西大津バイパス 左、疏水の案内を見て狭い下り道を一気に降りると、左に第一竪坑が現れる。第1トンネル(長等山のトンネル)は,当時我が国最長のもので多くの人達がその成功を疑いましたが,山の両側から掘っていくほかに,山の上から垂直に穴を掘りそこから山の両側に向けて工事を進めていく竪坑(シャフト)方式を我が国で初めて採用し,工事の促進を図ったそうです。

やがて、西大津バイパスの高架の下を通り、藤尾磨崖仏で有名な「寂光寺」過ぎて、四宮小金塚団地の南麓に入ると、JR琵琶湖線、湖西線と共に右側に疏水第一トンネルの出口も姿を表し、山科疏水と言われる場所に出ます。

諸羽疏水公園の昼食時、びわ湖疏水船が蹴上へ向かって通り過ぎました。


令和5年12月2日 「古都大津・歴史 散 策 港町・宿場町大津と大津城跡を巡る」ガイド報告
古都大津・歴史 散 策 港町・宿場町大津と大津城跡を巡る参加者募集
令和5年11月4日 歴史街道ウォーク・天智天皇ゆかりの「近江大津宮跡」を訪ね「渡来人の郷」をゆく
令和5年5月27日 歴史街道ウォーク・まぼろしの保良宮と近江国分寺跡を訪ねる
令和4年11月12日街道ウォーク・琵琶湖疏水その3報告
令和4年11月12日(土) 琵琶湖疎水シリーズ その3参加者募集
古都大津・歴史 散 策 港町・宿場町大津と大津城跡を巡る参加者募集
令和5年11月4日 歴史街道ウォーク・天智天皇ゆかりの「近江大津宮跡」を訪ね「渡来人の郷」をゆく
令和5年5月27日 歴史街道ウォーク・まぼろしの保良宮と近江国分寺跡を訪ねる
令和4年11月12日街道ウォーク・琵琶湖疏水その3報告
令和4年11月12日(土) 琵琶湖疎水シリーズ その3参加者募集
Posted by シニアサロン大津~おやじのたまり場~ at 17:36│Comments(0)
│旧・ポランティアガイド