日時:7月15日(水) 10:00~13:00
昨年から7月度のウォーキングは、暑さの為等で途中離脱しやすいようにフルコース(全日)とハーフコース(半日)の選択できるよう、もしくはハーフコースのみのウォーキングを計画しています。
今回の報告はハーフコースの報告となります。後で、フルコースの報告をアップします。
ハーフコース:坂本比叡山口駅⇒生源寺⇒日吉参道・穴太衆積みの石垣(里坊群)⇒西教寺⇒紅染寺跡⇒聖衆来迎寺⇒昼食(中華料理登煌)解散
集 合
今回は梅雨が明けておらず雨を心配していましたが、途中小雨に遭った程度で済み、暑さもそれほどでもありませんでしたので、いい散歩ができたと思います。
地元の方が多いので歩てくる人もいると思っていましたが、車で来られた方もいました。
京都から見学で参加された方1名を入れて17名の参加がありました。
この時期ですので
麒麟がくるのテーマ電車が走っています。
出発直前の確認の様子。
さすが
最澄ゆかりの坂本です。最澄が持ち帰ったとする日本で一番古い茶畑の説明がありました。
最澄が産湯を使ったと言われている
生源寺の井戸。 実際にはわかりませんが、最澄が坂本の地で生まれたのは間違いないこととされていますので、おかしくはありません。
元気なうちに生源寺本堂前で集合写真。
薬樹院の枝垂れ桜等の話、80あった
里坊が種々の理由で減ったが、明治以降の努力で50になっているとのこと。
穴太衆積みの説明をシッカリ受け、
青紅葉と穴太衆積みの
日吉大社の参道を進みました。
日吉大社神輿降ろしの神事の出発点
牛尾神社(右)、
三宮神社(左)が山の中腹?に
バーチャル下見の道を通って
西教寺に
ここで集合写真
西教寺は
明智家の菩提寺なので、明智一族、明智光秀の妻の墓があります。
左端が妻煕子、左端が一族の墓です。 中央は
阿弥陀如来二十五菩薩像
本堂で、お参り。 宗祖の教えの
不断念仏が続けられており、時折鉦がなりました。
客殿は
伏見城からの移築で、襖絵は
狩野永徳筆と伝えられていますが、良く見えませんでした。
光秀が戦で亡くなった家臣たちの供養のために西教寺に寄進した
供養米寄進状の原本が展示されていました。 位の上下に関係なく一人一斗二升なのは興味深いものがありました。
日吉大社の
大榊神事に使われる大榊を一時置く、
広芝を通って、最澄が幼少時を過ごしたに違いない父親の邸宅跡に建てられた
紅染寺跡に。 石仏と説明板しかありませんでしたが、坂本一帯を眺望できるいい場所でした。
次いで
聖衆来迎寺へ
志賀の陣(
朝倉、浅井、比叡山対織田信長)で
宇佐山城主森可成が織田軍として戦ったが、多勢に無勢で戦死。 可成が聖衆来迎寺に葬られているため、翌年の比叡山焼き討ちの時難を逃れました。 その結果、多くの貴重な資料等が残されています。 毎年8月16日の虫干し会に公開されます。
本堂の佇まいもいいものがありました。 本堂の写真です。
ハーフコースはここで完了で、比叡山坂本駅に向かいました。 坂本駅前の公園にある鐘はもともと生源寺にあったのですが、比叡山焼き討ちの際に激しく鳴らされ割れてしまったとか。
ハーフコース組は駅前の
登煌で美味しくチョット量が多い昼食を摂り、散会しました。
感染症予防
・三「密」を避ける
集団感染を招きやすい「密閉」、「密集」、「密接」の三つの「密」を避ける
・手洗い
2~3分洗剤を使っての完全な手洗いがお勧めですが、できないときは流水で5秒、10秒等できるだけ長く
・うがい
外から帰宅時、食事前等に必ずうがいを
・マスク
本人が無症状感染者のつもりで、マスクを。
また、マスクは顔、手を口にもっていく回数を減らしますで、感染防止にも役に立つと言われています。
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文責 山本